如蘭塾創立80年企画展が今日までだったので、終了
間際に行って来ました。因みに塾の名前は、満州国皇
室の花が蘭だったことによるそうです。
大正4年、満州に渡り奉天で貿易商を営み企業家とし
て財を成します。彼はその成果を友好と文化の交流に
還元しようと日満育英会を設立し、若い子女を日本に
給費生として留学させ、相互理解を深めようとしまし
た。
塾生は昭和18年入学の30名、19年入学の22名
で終わりました。が、昭和58年に一人の二期生から
武雄市長宛に届いた手紙が発端となり、元塾生やその
二世、三世との交流が始まったそうです。
終戦間際の物資が枯渇していた時代に、現代と遜色の
ない施設(生活)に驚くと共に、当時、塾を誘致した
武雄市、特に草の根外交に力を尽くされた方々に敬意
を感じました。
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